「旧中山道」街道をゆく 6

こんにちは 菅野です。

「旧中山道」街道をゆく その6。

6日目、高崎線籠原駅から出発、11:45 遅くなってしまいました。

前回、新島一里塚の手前(熊谷寄り)から17号線と別れて、旧中山道(県道264号線)に入っています。

さて、本日も籠原駅から旧中山道を目指します。

11月下旬だというのに、民家の花壇には花が沢山。

左:この朝顔としか思えない花は、何故にこんな寒さの中で咲き誇る。見事なブルー その名も「琉球朝顔」だそうです。 中:山茶花 右:小菊(黄色)、ネリネ(ピンク)

旧道に入ってすぐ、明治天皇御小休所跡、一里塚跡があります。

左から ① ② ③ ④

①明治天皇御小休所跡(めいじてんのうごしょうきゅうしょあと) ②東方一里塚跡(と思われる らしい)  ③④鬼林稲荷大明神:本堂と鳥井 青空と赤い鳥井のコントラストが美しいので載せてみました。

 明治天皇は明治初期に、京都から東京への東京行幸(とうけいぎょうこう)からはじまり、全国への地方巡行を行われ、各所に「小休所跡」や「ご宿泊所跡」が残されています。

 この地方巡行の明治新政府の意図の一つは、「江戸幕府に変わる天皇は、歴史的、民族的に支配の正統性を持つ、仁恵深い君徳を備えた存在であることを民衆にアピールすることにあった。(中略)明治国家支配のシンボルとしての天皇像を民衆に浸透させ、民衆の生き神信仰と天皇とを結び付けて神権的粉飾を進めた。また、それは天皇を迎える地方官の権威を高めると同時に、天皇が休憩・宿泊で立ち寄る地方行政機関や地方名望家の地方支配を強固なものにし、更に陸軍の大演習と関連づけることによって、天皇と軍部とを直結させる役割などを果たした。その意味で明治天皇の地方巡行は、近代天皇制の確立・完成過程における国家的プロパガンダであった。」(日本大百科全書(ニッポニカ)より引用)

ということで、これから街道沿いいたるところに出てきます。

左:晩秋の空に柿の実が美しく映える。庭には食べられる果樹が沢山植えられていますが、今は誰も食さないよう。 昔はおやつだっただろうに、木の手入れもされず放置され、アスファルトに無残に落ちつぶれている姿は、悲しいものがあります。

右:ラストエンペラー 皇帝ダリア 3~4mもありそうな背の高いダリア。メキシコ・中米原産。たくましい。

旧街道沿いは神社、仏閣、馬頭観音など、相変わらず多数点在しています。

熊野大神社 立派な神社。神社を沢山見ていると、本殿の屋根気になります。鰹木や千木についても詳しく知りたくなりますね。 鰹木(かつおぎ)、千木(ちぎ)、置き千木、外削ぎ、内削ぎ など。

興味のある方は、https://www.oshiete-oterasan.com/c-goddess.html

見返り松。ここから先がいよいよ深谷宿 ガイドブックによれば、

「蔵造りの町屋や重厚な観音開きの開閉窓を持つ商家、太い木枠の看板を掲げる商店などが点在しており、深谷の町の往時を十分に感じさせます。」とのこと。楽しみ。

突然、素敵な洋館が現れました。「大谷邸」 ガイドブックによれば「昭和恐慌の時、時の深谷町長故大谷藤豊氏がお助け普請で建てた木造二階建て洋館付和洋折衷住宅。ステンドグラスなど大谷邸には精巧優美な細工が数多く見られる。登録有形文化財。」

次は、古い造り酒屋さん。今も酒屋さんの様子ですが、真ん中の石蔵は1Fが別な店舗に。仕込み蔵と思しき右側の建物は使われているのかな?

左:出ました!「ふっかちゃん」深谷ネギのご当地キャラ。可愛いね。ゆるキャラの中でも上位のかわいらしさ。

中:糸屋製菓店は、この風情で営業中。今でも人気です。詳しくは、http://xn--gratefuldays-hn3w8954a.bean-jam.jp/archives/12720

右:造り酒屋さん。先ほどの酒蔵とは打って変わって建物が真新しく美しい。酒蔵多いです。

左:往事の繁栄がしのばれる建物群

右:常夜燈(西口):1840(天保11)年の建立で、4メートルの高さは中山道筋でも最大級であるとのこと。ここで深谷宿は終了です。

今年は大河ドラマが渋沢栄一で、深谷が注目されていますが、渋沢栄一の生家は、もっと利根川よりの血洗島というところ。

深谷宿の様子から、江戸時代のこのあたりの活気に満ちた繁栄ぶりが伺えます。

豪農の子弟で幼いころより教育環境に恵まれ、江戸にも近く情報も早かった。進取の気性、大きな希望を胸に秘めた青年。

明治の実業家を生むに必要な条件が整っていたことがわかります。

今度、生家見学に行ってみたいな。

深谷宿を過ぎると、本庄宿に向けて、ひたすら進むことになります。

沿道は、相変わらず神社、仏閣、庚申塔、沢山ありました。

一つ、不思議だったのは、下記の「宿根総鎮守 瀧宮神社(たきのみやじんじゃ)」

立派な鳥井や石標があるのに、本殿がない。更地になってる!!!

一体何があったの?

疑問を頂いたまま街道は進み、百庚申にたどりつく。万延元年(1860年)庚申(かのえさる)の年に建てられたもの。

とっぷりと暮れてきました。ラベンダー色の美しい夕暮れ。16:25

左:滝岡橋 小山川に架かる橋で、起源は江戸時代からの渡し(渡船場)である。

右:滝岡橋を渡った先で見た光景。宮沢賢治の「月夜のでんしんばしら」を思い出す。「ドッテテドッテテ、ドッテテド」

八幡大神社のなんだか大迫力の狛犬。高い台座の上に大きい阿吽が鎮座した黄昏時。16:50

そして漸く本庄駅 17:45

本日もとっぷり暮れました。

高崎線本庄駅にて6日目終了。

籠原駅発 11::45  本庄駅着 17:45  高崎線同区間:14分

6日目: 埼玉県籠原駅 ⇒ 本庄駅 17.2km

      所要時間:6時間00分(休憩時間含む)