「旧中山道」街道をゆく 3

こんにちは 菅野です。

「旧中山道」街道をゆく その3。

先ずお詫び。前回2日目、12.4km 8時間と書きましたが、5時間の誤りでした。

お詫びして訂正いたします。12.4km 5時間でもかかり過ぎ。

1時間4km歩くとして3時間半、休憩1時間としても4時間半が妥当な線か。

写真を沢山撮ってると時間かかる。いずれにしてもごめんなさい。🙇

気を取り直して3日目

3日目、埼玉県大宮駅東口入口交差点から桶川宿まで。

前回、氷川神社参道へと進んでしまったので、旧中山道ちょっと逸脱してしまいました。

(古くは氷川神社参道が旧中山道だったようですが、江戸時代は参道ではなくなったよう)

本日は、正しい旧中山道を大宮駅から辿ります。

大宮駅を出て、大宮駅東口入口交差点を左に入り、道なりに真っ直ぐ。

今は旧街道の面影は、 まったくありません。残念ながら。しかし繁華街でとても賑わっています。

ここから上尾宿を目指します。

途中には、天満宮、庚申塔、加茂神社、南方神社、愛宕神社、など古くからの神社があります。

ご由緒を拝見すれば「勧請の年代不詳」の記述などあり、地域に根付いた信仰を感じます。

加茂神社 左右の狛犬がかわいい
左:名所絵図:木曽街道 上尾宿 加茂之社(渓斎英泉) 中: 猿田彦大神 右:庚申塔

庚申信仰関係の物が結構沢山あり、ちゃんと祀られています。

どんだけ悪さしてたの?どんだけ他力本願で現世利益を追求したかったの?かな?

(庚申信仰について興味のある方は自力でお調べください)

そんな街道には、江戸期から続く創作漬物 河村屋さんがあります。

冬の大根が店先に干されて、美味しそうな佇まいに誘われ入ってみました。

いろいろ試食させて頂き、調子にのって沢山購入。背負って歩くのに大丈夫?

お茶も頂き、お話をすると、お店のお嬢さんだという女性は、

スペインで巡礼の道500kmを歩いたことがあるそうです。

スゴイ! ヨーロッパにもそんな道があるのね。

日本ならさしずめ四国のお遍路さんというところか。

河村屋さんを出て近くのラーメン屋さんでお昼。午後2時頃にも拘わらず、ほぼ満席のお店でした。

道はついに桶川宿に入ります。

桶川宿は、江戸日本橋から10里14丁(約40.8km)。

これは日本橋を七つ立ちした旅人が1日で歩く距離だったようで、

一つ手前の上尾宿とともに、宿場町として絶好の立地だったのです。

当然物流拠点としても重要な役割を担い、農作物の集散地兼宿場町で

とっても繁栄していたとのこと。

農作物としては、麦や紅花、武州藍、紫根などの染料植物、煙草栽培など、

江戸や京都を念頭においた商品作物の生産地であったようで、

このあたり、 現代の近郊農業と変わらない位置づけを感じます。

中でも紅花は特産品として、幕末には全国二位の産地であったいいます。

紅花といえば出羽国最上(山形県)しか知りませんでしたが、江戸から近いこんな場所で栽培されて

「桶川臙脂(おけがわえんじ)」の名で全国的に有名だったそうです。

しかも、最上地方では7月に収穫するのに対し、気候が温暖な桶川では、6月に収穫でき、

“早庭(場)「はやば」もの”と呼ばれ、紅花商人に歓迎されたそうです。(桶川市HPより)

来てみないとわからない。宿場には、往時を思わせる建物がみられます。

右上:名物 べに花まんじゅう、朝早い時間で完売だそう。
右中:「矢部家住宅」桶川宿唯一の土蔵造りの店蔵。建立:明治初期
右下:「旧旅籠(小林家住宅主屋)」建立:江戸時代末期ごろ

しかし、明治期になると「中国産紅花」や化学的合成染料の導入などから

急速に染料産業は衰退し、消滅してしまったようです。

このあたり、今でも同じ現象が見られ、身につまされます。

江戸時代、戦のない平和な時代が産業をはぐくみ育て、文化を醸成し

豊かな暮らしをもたらしていたことがわかります。

神社や庚申信仰が盛んな理由もこうした豊かさの上に成立していたと

納得できる旅でした。

桶川宿、まだ半分ありますが、本日も夕暮れが迫り、ここまで。

ちなみに大宮⇒桶川間、JR埼京線で4駅14分   トホホ

3日目: 埼玉県大宮駅東口入口交差点 ⇒ 桶川宿 12.4km

    所要時間:6時間(休憩時間たくさん含む 今日は記録を確認しました)