「旧中山道」街道をゆく 2

こんにちは 菅野です。

「旧中山道」街道をゆく その2。


2日目、埼玉県戸田市本町四丁目交差点から大宮の氷川神社まで。

埼京線戸田公園駅から、前回の終了地点へ。いよいよ2日目の旅の始まり。

ですが、幹線道路と多少住宅街の旧街道。昔日の面影はあまり期待できない雰囲気。

それでも、「蕨宿江戸方面木戸跡」の石碑と木戸をかたどった門が

宿場へといざなう旧街道の入り口にあります。

街道沿いには、「蕨市歴史民俗資料館分館」という

明治時代に織物の中継商をしていた家や、本陣や古民家が残されています。

ちょっと、旧街道歩きっポイ雰囲気。ほどなく蕨宿上方木戸跡の門で蕨宿終了。


左上: 蕨宿江戸方面木戸跡 右上:蕨本陣(入れません)
左下: 古い商家 右下: 蕨市歴史民俗資料館分館(古い商家)


次の浦和宿めざして、ここからは、旧街道らしいちょっと曲がりくねった道。

現在の中山道からははずれた住宅街の道を行きます。

地形に沿って歩きならされた道だろうと思われますが、

江戸時代にはどんな地形だったのか、創造のよすがもないくらい住宅地。

それでも辻の一里塚跡、熊野神社、調神社など神社仏閣が点在し、

それぞれの由緒を知れば興味深いものがあります。

古い街道を忍ばせる民家もたまに現れ、浦和宿に入ります。

浦和宿には、さつま芋に関わる碑が結構見られます。

街並みは、今時の街並みで、時折「史跡」の立て札や庚申塚がありますが、

取り残された感が半端ない。


やがてさいたまアリーナの脇を通り、いよいよ氷川神社参道。

「ケヤキを中心としたおよそ700本の樹木が南北約2キロメートルにわたり続く」

長い長い参道の始まりです。(さいたま市HPより)

左上:調神社(つきじんじゃ) 境内にはうさぎがいっぱい 右上:武蔵野国一宮氷川神社参道入口
左下:並木が美しい参道 まだまだ続きます 右下:漸く本殿入り口

創建は、およそ二千有余年、第五代孝昭天皇の御代3年4月末の日とされています。

(氷川神社社記による 氷川神社HPより)

参道は、美しい並木が保存され、木陰が徒歩で行く旅人に心地よい。

現代のアスファルト、並木のない道路からは比べようもなく快適な道。

これがずっと続いていたのなら、江戸時代の旅は快適であったろう。

浅田次郎の小説「一路」を思い出す。

それにしても、この参道長い。散歩の人、ジョギングの人、犬連れの人。

神社に近づくつれ、食べ物屋が増える。結構にぎわっている。

江戸時代も賑やかだったんだろうか。それとも厳粛な参道だったんだろうか。

そんなことを思いながら、アイスクリーム屋さんから目が離せない。

そろそろ夕暮れ。明るいうちにお参りしなくちゃ。

お参りしたら何か甘いもの。アイスクリームもいいけど、街道らしいおやつを。

本日も・・・・・・もう限界。


2日目: 埼玉県戸田市本町四丁目交差点 ⇒ 大宮(氷川神社) 12.4km

     所要時間:8時間(休憩時間含む)⇒ 修正:5時間