【本のご紹介】『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』

『江夏の21球』というスポーツドキュメンタリーの名作をご存知の方は多いかと思います。元は山際淳司のノンフィクションだったものをNHKが映像で再構成したことで誰もが知る作品となりました。このNHK版の解説を務めたのが昨年2月に亡くなった野村克也元監督(当時は解説者)でした。野村監督(しっくりくるので以下この呼称で)が監督としての名声を得るのは90年代のヤクルトスワローズからですが、その黄金時代を築くきっかけが92年と93年の西武ライオンズとの日本シリーズでした。
老いの繰り言のようで恐縮ですが、昔の日本シリーズは本当にワクワクして面白かったという気持ちが私にはあります。それは、やはりあの92・93年の伝説とも言えるシリーズが頭から離れないからなんだろうな、と思っています。

その2年間の激闘を関係者50名の証言でまとめた『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(長谷川晶一・著 インプレス)が昨年11月に出版されました。
「詰むや詰まざるや」というのは江戸時代の将棋の名人がまとめた難解な詰将棋集の俗称ですが、野村・森という智将の対決をそれに譬えた(92年第7戦の本書章題から)ものです。
この2年の全14試合には、勝敗を左右したいくつかの重要なプレーがありますが、そこにたどり着くまでの各選手・コーチ・監督の一挙手一投足と葛藤が語られていて読み進めていくとゲームの様子が目に浮かび上がってくるようになっています。
このプレーヤー双方の証言を立体的に組み立てて行く手法は、まさに『江夏の21球』と同じであり、読んでいると結果は分かっていても手に汗握ってしまい、読後に当時の映像を見たくなってしまいます(リンクはしませんが工夫して検索してみてください)。そこで『江夏の21球』みたいな映像ドキュメンタリーを本作でも、と思うのですが、残念ながら野村監督に再び語ってもらうことはもうできません。本当に残念です。

当時、野村監督の野球は「ID野球」と呼ばれデータ重視の権化のようにもてはやされましたが、データを重視した考え方は西武森監督も得意として実践していたものでもあり、特段珍しいものではありませんでした。野村野球のオリジナルは南海時代にブレイザー監督から薫陶を受けた「シンキング・ベースボール」が根幹にあると言われています。監督・コーチの指示を鵜呑みにしてプレイするのではなく、それを基に選手各自が臨機応変に判断してプレーする、という考え方です。
92年、ヤクルトはあと一歩のところまで西武を追い詰めたものの、飯田の捕球ミスと広沢の残念な走塁によって敗れてしまいます。しかし翌93年、飯田の見事な返球(敢えて前進守備をしていた)とのちにギャンブルスタートという名で戦術化する走塁プレー(打者は広沢、走者は古田)でヤクルトは王者となりました。
実はこの両プレイ、どちらもベンチの指示を無視した上での結果だったそうです。しかし本書で野村監督は古田の独断を認めてこう語ります。
「・・・そりゃあ強かったはずですよ。選手が自分で考えて正しい判断をするんだから。監督が何も言わなくても、選手たちが勝手に動く。そりゃあ、強いですよ」
野村監督の本は数え切れないほど出ており、そこには様々なエッセンスが詰まっていますが、選手にその考えが浸透する瞬間を本書ではたどることができます。

ところで、昔の日本シリーズ、特にこの92・93年を私が楽しかったと感じているもう一つの理由、それは全試合デーゲームで行われた最後のシリーズが93年であったからではないかと思っています。こっそり仕事サボって昼間に見たいですよね、日本シリーズって。