嗚呼Clubhouse

ここのブログの間でネタに詰まったスタッフが未使用状態でClubhouseの話題に触れて何とか乗り切るのが流行っているようですので、私もそこに乗っかることにします。
Clubhouse、勿論私も使っていません。なぜならば、誰も招待してくれないからです。
iPhoneユーザなので一応アプリはインストールしてありますが、招待されないので使えません。繰り返します、招待してくれる知り合いがいません。


ただ、誰かに招待されたとして、現段階で積極利用するかどうかは微妙です。自分から発信するつもりはさらさらありませんが、聴取オンリーとしても本名でその動向が可視化されてしまっているのはちょっと気になりますよね。
日本ではいまのところエンタメ業界の人が積極利用しているようですが、ある程度見られることの自意識が強い人には親和性があるのかもしれません。


開発・運営サイドが目指しているのはサロン的なコミュニケーションであろうことは何となく想像つきますが、イギリスのスピーカーズ・コーナーに似ているな、と感じました。スピーカーズ・コーナーはロンドンのハイド・パークのものが有名で、そこでは自由に自説を論じ合ってよい(ただし王室批判と政府転覆に関する話はご法度)場所、ということになっています。実際のスピーカーズ・コーナーがどの程度機能しているものなのか詳しいことは全く知りませんが、コンセプトとしては近いんじゃないか、という気がします。


Clubhouseは聴取者がいることを前提に発信するものですが、招待制であることと多言無用のルールによってある程度の閉鎖性が保証されています。わざわざ聞きに来た人たちだけと取るコミュニケーション、という意味ではスピーカーズ・コーナーと構造的に近いんじゃないでしょうか。


本来、ネットでの発信というのは、多くの人に効率よく届く、というのが利点だったのですが、世界の悪意とフラットに接するリスクというものを我々は知ってしまいました。このコミュニケーションのジレンマから脱するべく色々とあがいているのが今なのかもしれません。
Clubhouseが今後成立するのかどうか私には全く想像つきませんが(何せ招待されてませんから)、何かの過渡期のような気はしています。

<補足的言い訳>
と思いつきで書き散らしてはみたものの、既に手垢のついた説明だったり、そもそも開発者が「Clubhouseはネット上のスピーカーズ・コーナーをイメージして作りました」みたいなことを言っていたら㌧だ大恥かもと思って検索してみましたが、日本語記事でそういう表現をしているのは下記1件のみでしたので、少しホッとしたような、あまり分かりやすい比喩ではないのかなあ、などと思いつつ、まあブログとしては何とかそれっぽくは埋まったかな、という感じです。(^_^;)

<参考>
音声SNS「Clubhouse」からぼくたちの“普遍的意識”は聞こえてくるか:SZ Newsletter VOL.67 [NETWORK] | WIRED.jp