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銀座番外地で逢いましょう(住所雑学シリーズ19)

日々住所データとにらめっこしていますと、たまにこの住所表記にでくわすことがあります。

東京都中央区銀座西2-2先

具体的には銀座インズ2のことですが、この住所には奇妙な点が二つあります。
まず、東京都中央区に「銀座西」という地域名は現在は存在しません。1968年の区画整理の際に「銀座」に統合されてしまっています。半世紀以上前の地名を未だに使用し、最後に「先」と付けるのはどういう理由があるのでしょうか。

まず、「銀座」の地名の歴史ですが、遡り過ぎるとややこしいので、1930(昭和5)年の区画整理以降でお話します。現在の銀座(1~8丁目)は1930年には西から「銀座西」「銀座」「木挽町」(各1~8丁目)に分かれていました。「木挽町」については1951年に三十間堀の埋め立てで地続きになったことから「銀座東」に名称が変わります。
銀座西と(旧)銀座は西五番街通り(北は銀座レンガ通り、南は見番通りにつながる)を境に分かれていましたが、1968年に銀座に統合、翌1969年には銀座東も統合し、現在の銀座(1~8丁目)となりました。
地名は銀座に統一されたものの、街のブランドとして並木通り界隈を「西銀座」、歌舞伎座・新橋演舞場界隈を「東銀座」と呼ぶ通称名についてはそのまま定着し、東銀座については地下鉄の駅名(1963年)にもなりました。
しかし、通称名としての「西銀座」と旧地名の「銀座西」とは意味が違います。なぜ現在は存在しない地名を使い続けているのでしょうか。そして「先」の意味は。
商業施設銀座インズ2の具体的な位置ですが、こちらとなります
こうやって航空写真で見ると分かりやすいですが、銀座インズは高速道路(首都高)の下にあります。首都高のこの部分は外濠(そとぼり)川を埋め立ててできています。川というのは境界線になることが少なくないですが、ここも銀座と有楽町、ひいては中央区と千代田区の境界線となっています。そして運営する東京高速道路は不動産事業としてこの境界線が曖昧な高架下にテナントビルを設置しました。境界線未確定なまま。
そのテナントのうちのひとつが銀座インズでした。1958年、当時は有楽フードセンターという施設名でオープンしています。最初は有楽町への帰属意識もあったというところが未確定地域らしくて面白いですね。この未確定地域の住所をどう表現するか。京都通り名風に言うなら、外濠通り有楽橋(交差点)先、といったところですが、街区表現では当時の住所名であった「銀座西2丁目2」の先、としか言いようがなかったのでしょう。その後銀座西は銀座に統合されますが、便宜上の通称名とはいえ、いや、通称名であればこそ、せっかく定着したもの(西銀座というブランドを含めて)を改める義理はありません。
ただし、これは銀座インズの考えであり、たとえば同じ高架下に店舗を構える西銀座デパートは「東京都中央区銀座4-1(先)」としています。店名に西銀座ブランドを掲げていますので住所は現行に寄せているのでしょうか。まあつまりそこは番外地に店を構える側の自由、ということなのです。

画像は私が銀座に赴いた際に西銀座デパートを向こうに外堀通りを挟んだところから撮った住居表示板と交差点名称の看板です。Googleストリートビューで見るとここです。手前の住居表示板は「銀座」ですが交差点のそれは「銀座西」とあります。交差点名というのは古い地名やシンボルなどの痕跡をそのまま残すことがあり、これはその典型例とも言えます。
住所処理を生業とする者としては厄介な話ですが、住所雑学としては大変面白い現象です。

【参考サイト・文献】
銀座にナゾの番外地 秘めた歴史に迫る : NIKKEI STYLE

銀座inzについて | 銀座インズ

『住所と地名の大研究』(今尾恵介・新潮選書・2004年)