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チャーザー村は実在するか(住所雑学シリーズ14)

先日、落語家の林家こん平師匠がお亡くなりになりました(77歳)。
私を含めた昭和にガッツリ記憶のある方にとって笑点大喜利の一番右といえばこん平師匠でしょう。そしてこん平師匠といえば「チャラーン」と「チャーザー村」ですね。
「チャラーン」は佐渡おけさの一節なんだそうですね。特に意味も気にせず聞いていましたが、新聞の追悼記事で初めて知りました。
もう一方の「チャーザー村」も深く考えることなく聞いていたギャグですが、今回の訃報に触れて、ああそういえば、と思い出した案件でした。
「チャーザー村」といえば、本人が生まれ故郷を自虐的に「あるのは肥だめばかり」と言い、笑点メンバーから「ダムの底」などとからかわれていましたが、子供の頃はそもそも実在する村なのかどうか疑って見ていた記憶があります。今回の追悼記事などでも「千谷沢村(ちやざわむら)」のことであったことは書かれていますが、仕事で住所をにらめっこしている私でも正直耳慣れない村名でした。
それもそのはず、私が普段見ている住所として認識している市町村というのは市町村コード(全国地方公共団体コード)が制定された1970年以降に存在する自治体で、それ以前のものは歴史的に存在した過去の村や町で、千谷沢村は1957年まで存在していた村だからなのです。
こん平師匠はよく「チャーザー村大字チャーザー字チャーザー」と言っていましたが、これを漢字変換すると「千谷沢村大字千谷沢字千谷沢」となります。この並び、どこかで見覚えがないでしょうか。そう、この住所雑学シリーズ第1回の「志布志市志布志町志布志」と同じですね。前近代的なムラが集合して自治体としての村・町が誕生し、同時に地名として字・大字が積み重なっていくという過程です。
近代の自治体としての千谷沢村は、1889年(明治22)千谷沢村、上新田村、下新田村が合併して千谷沢村が誕生しています。この時点で元の千谷沢村の地区は「千谷沢村(大)字千谷沢」とされていました。ところがこの千谷沢村、1957年の周辺の町村の統廃合で渋海川(しぶみがわ)を挟んで分けられ、刈羽郡小国町と三島郡越路町にそれぞれ統合されてしまいます。こん平師匠14歳のときのことです。
この際、元の「千谷沢村(大)字千谷沢」は渋海川を跨いでいたため、字が2つに別れてしまいました。その結果、「新潟県刈羽郡小国町大字千谷沢」と「新潟県三島郡越路町大字千谷沢」という地名がそれぞれ発生します。
ところで、ここまでの過程でそもそも「千谷沢村大字千谷沢字千谷沢」という重なり方はしてはいませんでしたね。ただ、地名に千谷沢村の痕跡を重ねるのなら、合併時に「小国町(or越路町)大字千谷沢字千谷沢」という残し方はありえたはずです。千谷沢村時代には正式な地名として小字の「千谷沢」は無かったと思われますが、田舎っぽさの語呂としてのギャグ演出の面と、分裂・合併後の地名に対して、もう村名としては存在しない幼少年期を過ごした村への郷愁があのギャグには込められていたのかもしれません。
さて、この分裂してしまった千谷沢村ですが、2005年に小国町と越路町ともに長岡市に編入され、再び同じ自治体に収まることになりました。ただ、旧小国町の方は一律「小国町」の冠を付けたため「長岡市小国町千谷沢」となり、旧越路町の方は「長岡市千谷沢」となりました。
この前年、こん平師匠は入院され笑点を勇退されていましたが、長岡市への編入の少し後に退院されリハビリを開始されます。故郷が少しだけ元の形に近づいたことをどう感じられたのでしょうか。
今、千谷沢地区に肥だめが残っているかどうかはわかりませんが、少なくともダムの底ではありませんし、こん平師匠の故郷としてその地名は人々の記憶に残ることでしょう。